王子様の責任
アレクサンドル・ジャルダンの『恋人たちのアパルトマン』を読み返している。友人Mからのメッセージを読んで、読み返したくなったのだ。
メッセージの中で彼女は『星の王子様』の王子様とキツネの話をしていた。
”apprivoiser”(飼い馴らす)という意味がわからない王子様は「飼い馴らすってどういう意味?」とキツネに尋ねる。キツネは、飼い馴らすとはお互いになくてはならない存在になるということ、そして飼い馴らしたものにはいつだって責任がある、と説明する。
同じようなことを『恋人たちのアパルトマン』の中で、ティー老人が主人公のアレクサンドルに語るシーンがある。細かいあらすじは省くけど、アレクサンドルが自分のつまらないこだわりを建て前にファンファンへの思いをはぐらかし、向き合おうとしないのを見兼ねてこの人生の大先輩が語るのだ。ほんの一部を言うと
「…敢えて言うがわたしたちは愛のために生まれついているのだ。恋のためではない。…人は愛する者に対して責任があるんだぞ。…いいかな、自分を拘束しないものは端役であって、主役ではない。…」
彼女からのメッセージを読んだ時にティー老人の言葉を思い出した。物語の中で、やはり、ティー老人もアレクサンドルに『星の王子様』のことを言っている。
愛したものには責任がある。愛するということは時間を費やすということ。束縛しないものには何の責任もなければ、ただ通り過ぎていくその他大勢と同じ。
若い頃には束縛されるのはいや、お互いの自由を尊重する関係でいたい、と思っていた。でも、ティー老人にそれは恋であって愛ではないということを教えられた。
それは男女の関係だけの話ではない。人が出会い、”apprivoiser”の関係になった時、お互いに世界にたった一人しかいない人、他の誰でもなくその人でないとダメな人になる。
その人について考える。想う。心配する。
「費やした時間の分だけ、その人は大事な存在になるから」。キツネは言う。
あなたがあたしの世界に存在しているだけで強くなれるし大丈夫と思える。
あたしもあなたにとってそういう存在でありたいと思うし、あなたがあたしにとってそういう存在であることを誇りに思う。
0コメント