遠隔操作
また、風邪をひいてしまった。
今年に入って二度目。一度目は一月の半ば頃。
朝、起きると鼻の奥が痛くて、「嫌な感じ」と思った。
その日は午後からヨガのクラスがあり、その次の日には毎年恒例の伊勢参りが控えていた。風邪をひいている場合ではない。
クラスを終えてすぐに帰宅。体が熱い。関節が痛い。熱はどんどん上がっている。発熱は体が菌と闘っている証拠。
「よし、よし、順調に熱が出てきた。がんばれ、がんばれ!!」と、せっせとホメオパシーのレメディを入れ、鼻うがいをし、後方応援した。
りんごを食べたいと思った。でも、りんごを買いにいってくれる人も、皮をむいてくれる人もいない。仕方なく寝た。
夜中に目が覚めた。熱と闘う自分の体を抱きしめた。
そして、伊勢参りの朝、あたしはベッドの中で小さくガッツポーズした。
そして、一ヶ月後、また鼻の奥が痛くなった。またもや午後からクラスがある。今回は冷たい雨が降っている。
体がだるい、痛い。声は鼻声。何もする気になれず、雨も降っているし、掃除も洗濯も明日すればいいと思い、何もしないことにする。ストーブをつけて部屋を暖めて窓の外を見やる。
作業服を着た男の人が電信柱にクレーンみたいなので上がり作業している。
機械の音とお互いにかけ合う声が聞こえる。シトシト雨が降っている。
「寒いのに、たいへんやなぁ」と思いながら曇った窓越しにそれを眺める。出かけるまでに時間はたっぷりあるけど、何もする気になれない。本を読むのも目が疲れて続かない。気の向くままにネットを見る。でも、画面を眺めているのに疲れて途中でやめる。また、窓の外を見る。作業はまだ続いている。部屋は二階にあるので作業している人と同じ目の高さになる。ぼ~っと見ていると作業員と目があった気がした。
あたしは再びパソコンの前に座りマウスをクリックした。そこに、友達が始めたブログをみつける。
彼女はあたしのメンターの一人。彼女は人を愛すること、人生を愛することに真摯で、ロマンティスト。彼女と話していると、自分の中の「愛」の領域を激しく揺さぶられることがある。それは、あたしにとってワクワクする時もあれば、ちょっとハードルが高くて面倒くさい時もある。二人でお酒を飲みながら、恋の話や愛について、本や映画の話、仕事の話、家族の話…本当に色々な話を酔っ払いながらも大真面目に話した。
絵描きでもある彼女は、絵と文章を楽しめるブログを始めたようだ。久しぶりに彼女の書いたものを読む。が、集中力が続かない。頭がぼんやりしている。少しだけ読んで、あたしはパソコンの電源を落とした。出かける時、自分の内側がざわついた。
帰宅後、復活したあたしは(クラスの後は元気になる)、早速、クリアな頭で彼女のブログをひとつひとつゆっくり噛みしめるように読んだ。
そこには、彼女の何気ない日常が綴られていた。彼女は今、愛の真っただ中にいることが伝わってきた。毎日、笑っている彼女の顔が浮かんだ。彼女のちょっとブルジョワぽい言葉の使い方が、小さなできごとやのろけ話でさえもひとつの物語や詩の一篇のようにしてしまう。
そして、家を出る時に「ざわついた」理由がわかった。あたしは、彼女の感性の瑞々しさに嫉妬していたのだ。彼女のフィルターを通した世界が温かく愛に包まれていることが羨ましかったのだ。
最近、日々の些末なことに追われ、つまらない状況に翻弄されていた。気持ちがぱさぱさに乾いていた。でも、彼女の文章に触れた時、忙しさにかまけて後回しにしていたことや忘れていた大切なことが、風に吹かれる落ち葉のようにかさかさと音をたててあたしの後ろに転がってきた。あたしはそれらの葉っぱを一枚一枚拾い、彼女が言ったある言葉を思い出した。
「あま~く、あま~くね」
全てに愛を見る。それは自分を表現することをあきらめず、投げ出さずに続けていくこと。世界を美しくあま~い世界に彩っていくことだと思う。言葉にすると陳腐でありふれているけれど、やっぱり根っこは愛だ。それしかない。
またもや揺さぶられた。これが彼女の遠隔操作だと、あたしは勝手に思っている。
あま~く、あま~くね。
彼女が、笑いながらあたしに向かって呼びかけているのが見えた。ありがとう!!!
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