女子と少女の…
今年の冬で渡仏三度目のクリスマスを迎える、友人のMちゃん。
パリの11区にパートナーのLと暮らしている。
界隈は下町風情が残る地域で周辺にはカフェやブティックが立ち並び、その街の雑多な雰囲気はパンキッシュとエレガンスの精神がない交ぜになっている彼女にとっては居心地のいい場所のようだ。
今、パリの街は燃料税値上げに反対する人たちが黄色いベストを身につけて大規模なデモを繰り返している。
テレビの映像を見ていると「やっぱり革命の国、フランスやなぁ」と思う。
権力や制度に対して「NO」という声を上げて行動を起こす、そういう熱情がなければバスチーユ攻撃もなかっただろう……。
と、パリのデモの話をしたいのではなく、今回のデモをきっかけにMちゃんが文章を綴っている。
彼女の書くものには度々ハッとしたり、自分が言いあぐねていることを語っていて「こういう言葉で表現すればいいんだ」と気づかされたりする。
それは、書き言葉だけではなく彼女と会って話をしている時もそういうことがあり、向かい合っている時はもちろん、「じゃあ、またね~」と手を振って別れたあと、彼女と話した色々なことを反芻している時に、ふと言葉が立ち上ってくることがあったりする。
あたしたちが話していたことなんて単なる酔っ払いの与太話だったり、パンを捏ねるみたいに一つのテーマを二人でああだこうだと捏ねくり回していたりする犬も食わないような話もあるのだけど、その中には小さな星屑のような言葉がひっそりと眠っていたりする。
11歳で『悲しみよ、こんにちは』を読みカルチャーショックを受けたり、13歳でルイ・マルの『さよなら、子どもたち』を観て映画の中の言葉に心を動かしたりするのには、
幼い頃からそれらのものに触れられる環境があったということが、彼女の感性を養う大きなベースのひとつになっていると思う。
サガンやフランス映画に心酔する少女が、学校という枠の中で自由に泳げるはずがない。そういうことを対等に語り合えるクラスメイトはおそらくいなかっただろうし、そんな話をすれば、途端に境界線を引きたがる年齢だ。
自分の感性や考えを抱えながら、周囲の理不尽さと必死に戦いもがく少女の姿が目に浮かぶ。
昔は「自由」の意味なんてろくに考えずに、「自由になりたい!」と思っていた。
組織に入ったり、何かに属したりすることは「不自由」と思っていた。
「自由」とは、何にも束縛されず、開放的で、満たされているものだと思っていた。
でも、その「自由」が気づいたら足枷になっていた。正確に言えば、「自由だと思いこんでいた思考」が。
今は「自由」の取り扱い方を少しは学んだかもしれない。
「自由」って擦りむいた傷口みたいにヒリヒリするし、寒風吹きすさぶ原野に立ち尽くしているようなものかもしれない。
あたしが、『さよなら、子どもたち』を観たのは20代。もう、大人だ。
でも、Mちゃんが言う神父さんの言葉なんて全く覚えておらず、映画について今、思い出すことと言えば、少年達のベレー帽姿がかわいいなとか、ナチスのユダヤ人迫害に心を痛めたり、最後に生徒たちが「Au revoir,Mon Pere」と次々に発する場面が印象的だったぐらいのものだ。
フランス語の響きやフランス人の暮らしに憧れるだけの短絡的な女子の感性はその程度のものだったのだ。
もし、その時あたしと13歳のMちゃんが友達になっていたら、フランス映画やサガンについて語り合ったのだろうか。きっと20代の女子は13歳の少女の世界観に大いに刺激を受けただろう。お薦めの本や映画について交換し合っただろう。
バイト先の気になる人のこととか、学校で苛められたこととか、お互いの日常のことをああだこうだと捏ねくり回しながら話したかもしれない。13歳の少女は頬を赤らめながら「自由」について語っているかもしれない。
きらきら光る海を前に堤防に腰かけて、アイスキャンデーを舐めながら、女子は時々煙草をふかしながら、サンダル履きの足をブラブラさせて、笑ったり怒ったり、話している女子と少女の姿が遠くに見えた。
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